2010年04月11日
母の退院
みなさんこんにちは、マネージヤーの佐野です。
今日は日曜日で、お天気も良くポカポカして気持ちのよい一日ですね。
今日は、私にとって待ちに待った日です。
3月の半ばから、ずっと入院していた実家の母が、富士中央病院から帰ってきます。
先日プロ野球の木村コーチが、クモ膜下出血でお亡くなりになられたニュースをご存知の方も多いと思います。実はあの時より少し前に、私の母も同じ病気で倒れてしまっていたのです。
少し暗い話になってしまうかもしれませんが、その時の状況を少し書かせて頂きます。
3月16日、夕方、父から突然お店のほうに電話がありました。
「お母さんが急に激しい頭痛がするって、救急車で運ばれて、中央病院の救急にいるから!」
その時父はとても冷静だったので、まさかこんな病気で母が倒れたなんて、思いもしませんでした。
その日の夜、仕事を終わらせて、急いで病院に向かいました。
到着すると、母は、ICU(集中治療室)のベットに寝かされていました。家族が集まるとすぐに別室に呼ばれて、脳神経外科の先生から
母の病状についてのお話がありました。
「お母さんは、クモ膜下出血で、2回脳の血管が破裂しています。出血も中等度くらいありますので、今は完全に助かるとはいえません。とにかく一刻も早く開頭手術をして、出血を止めなければなりません。」
そう聞いた時、初めて私も家族も事の重大さに気づき、同時に不安で頭がいっぱいになりました。
クモ膜下は、とても恐ろしい病気で、まず、血管が切れてしまった時点で、50%くらいの方がなくなってしまうそうです。
母は何とか運ばれるまで、意識があり、年齢的にも外科手術が受けられるので、不幸中の幸いでした。
夜の10時近くから、手術が始まりました。
私達家族はひたすら控え室で手術の成功を祈りました。
そして、明け方4時頃、やっと手術室から母が戻ってきました。
人工呼吸器をつけられ、右の前頭部の髪は剃られ、母は昨日の元気な母から想像できない姿になっていました。
何とか手術は成功しました。
通常他の外科手術でしたら、後は母の回復を待つだけ・・だと思うのですが、
クモ膜下は、術後にも大変大きな山場が待っています。
まず1つ目に
出血してしまった血液が頭の中にまだ残ってしまうので、その影響で、脳の血管が縮んでしまう゛れん縮”という恐ろしい症状が起こってしまうのです。
それは2週間の間、かならず起こることで、ひどい場合はそのまま脳梗塞になってしまい、後遺症が残るか、植物状態になるひとが3分の1、元気に復帰できる方が3分の1、最悪死亡してしまう方が3分の1というおそろしい症状なのです。
それから2つ目が、水頭症という症状です。
これは初期と約1~2ヶ月の間にみられる症状ですが、頭の中の髄液がうまく循環されず溜まってしまい、脳を圧迫してしまうと、麻痺や痴ほうなどが現われるそうです。
手術は成功したものの、私達はしばらく不安な日々を過ごしました。
ICUには一日4回決められた面会時間に合わせて、母に会いに行きました。
その間、私がお店をあける事が多くなってしまい、お店の事が少し心配だなっと思っていました。
しかし、そんな時、スタッフからメールをもらいました。
゛私達がマネージャーとオーナーの分まで頑張りますので、お母さんだけの心配をしていてください”
そんな心強い励ましの言葉をもらい、安心して母についてあげる事が出来ました。
オーナーも夜遅くに毎日ICUに母の様子を見に来ていました。
術後4・5日は、ヒドイ頭痛は続きましたが、意識はおもむろにあり、家族の顔もわかり、何とか会話もできていました。
でも会いに行くたび、症状が良くなったり悪くなったり、本当に元気になるのか予想がつかない位でした。
2週間の内に何とか゛れん縮”の症状が出ないことを祈りました。
しかし術後10日目頃から、母は眠ってしまいました。たまに頭が痛そうに、もがいている位で、ずっと目をとじたまま。
先生は
「今お母さんはギリギリのところにいます。症状を抑える処置はしてありますが、あとはお母さんが病気に勝てるかどうかです。」
とおっしゃいました。
母は2日間眠り続けました。その間血圧は薬で210近くあり、熱も高く、とても心配でしたが、手を触りながら、母が一生懸命頑張っているので絶対に大丈夫だ!と強く思いました。
そして、何とか山場を越え、意識ももどり、手足にも力が戻りました。その時やっともう大丈夫だと確信することができました。
そして、無事一般病棟へ移ることができ、リハビリも終わり、
今日退院する事が出来ました。
今週は、テレビでクモ膜下についてよく放送されていました。
実際自分の母親が倒れてしまった事で、この病気の恐ろしさと、予防の大切さを身をもって体験しました。
ブログに書くのも迷いましたが、少しでもこの病気について知っていただければと思い、ためらいながらも書いてみました。
すばらしい富士中央病院の先生方と優しい看護師さん達のおかげで、母は無事退院する事ができました。
本当に助かって良かったと、やっと安心できます。
支えてくださった病院の方や、私の分まで頑張ってくれたお店のスタッフ、親戚や友人、近所の方に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こんな大病はなかなか経験できないことです。
母も早速いろんな方に自分の経験を伝えたいと言ってました。
母はもともと元気で明るいはつらつとした人ですから、せっかく助かった命を大切に、これからもさらに前向きに生きて行くと思います。
健康第一!それに尽きますね!
今日は日曜日で、お天気も良くポカポカして気持ちのよい一日ですね。
今日は、私にとって待ちに待った日です。
3月の半ばから、ずっと入院していた実家の母が、富士中央病院から帰ってきます。
先日プロ野球の木村コーチが、クモ膜下出血でお亡くなりになられたニュースをご存知の方も多いと思います。実はあの時より少し前に、私の母も同じ病気で倒れてしまっていたのです。
少し暗い話になってしまうかもしれませんが、その時の状況を少し書かせて頂きます。
3月16日、夕方、父から突然お店のほうに電話がありました。
「お母さんが急に激しい頭痛がするって、救急車で運ばれて、中央病院の救急にいるから!」
その時父はとても冷静だったので、まさかこんな病気で母が倒れたなんて、思いもしませんでした。
その日の夜、仕事を終わらせて、急いで病院に向かいました。
到着すると、母は、ICU(集中治療室)のベットに寝かされていました。家族が集まるとすぐに別室に呼ばれて、脳神経外科の先生から
母の病状についてのお話がありました。
「お母さんは、クモ膜下出血で、2回脳の血管が破裂しています。出血も中等度くらいありますので、今は完全に助かるとはいえません。とにかく一刻も早く開頭手術をして、出血を止めなければなりません。」
そう聞いた時、初めて私も家族も事の重大さに気づき、同時に不安で頭がいっぱいになりました。
クモ膜下は、とても恐ろしい病気で、まず、血管が切れてしまった時点で、50%くらいの方がなくなってしまうそうです。
母は何とか運ばれるまで、意識があり、年齢的にも外科手術が受けられるので、不幸中の幸いでした。
夜の10時近くから、手術が始まりました。
私達家族はひたすら控え室で手術の成功を祈りました。
そして、明け方4時頃、やっと手術室から母が戻ってきました。
人工呼吸器をつけられ、右の前頭部の髪は剃られ、母は昨日の元気な母から想像できない姿になっていました。
何とか手術は成功しました。
通常他の外科手術でしたら、後は母の回復を待つだけ・・だと思うのですが、
クモ膜下は、術後にも大変大きな山場が待っています。
まず1つ目に
出血してしまった血液が頭の中にまだ残ってしまうので、その影響で、脳の血管が縮んでしまう゛れん縮”という恐ろしい症状が起こってしまうのです。
それは2週間の間、かならず起こることで、ひどい場合はそのまま脳梗塞になってしまい、後遺症が残るか、植物状態になるひとが3分の1、元気に復帰できる方が3分の1、最悪死亡してしまう方が3分の1というおそろしい症状なのです。
それから2つ目が、水頭症という症状です。
これは初期と約1~2ヶ月の間にみられる症状ですが、頭の中の髄液がうまく循環されず溜まってしまい、脳を圧迫してしまうと、麻痺や痴ほうなどが現われるそうです。
手術は成功したものの、私達はしばらく不安な日々を過ごしました。
ICUには一日4回決められた面会時間に合わせて、母に会いに行きました。
その間、私がお店をあける事が多くなってしまい、お店の事が少し心配だなっと思っていました。
しかし、そんな時、スタッフからメールをもらいました。
゛私達がマネージャーとオーナーの分まで頑張りますので、お母さんだけの心配をしていてください”
そんな心強い励ましの言葉をもらい、安心して母についてあげる事が出来ました。
オーナーも夜遅くに毎日ICUに母の様子を見に来ていました。
術後4・5日は、ヒドイ頭痛は続きましたが、意識はおもむろにあり、家族の顔もわかり、何とか会話もできていました。
でも会いに行くたび、症状が良くなったり悪くなったり、本当に元気になるのか予想がつかない位でした。
2週間の内に何とか゛れん縮”の症状が出ないことを祈りました。
しかし術後10日目頃から、母は眠ってしまいました。たまに頭が痛そうに、もがいている位で、ずっと目をとじたまま。
先生は
「今お母さんはギリギリのところにいます。症状を抑える処置はしてありますが、あとはお母さんが病気に勝てるかどうかです。」
とおっしゃいました。
母は2日間眠り続けました。その間血圧は薬で210近くあり、熱も高く、とても心配でしたが、手を触りながら、母が一生懸命頑張っているので絶対に大丈夫だ!と強く思いました。
そして、何とか山場を越え、意識ももどり、手足にも力が戻りました。その時やっともう大丈夫だと確信することができました。
そして、無事一般病棟へ移ることができ、リハビリも終わり、
今日退院する事が出来ました。
今週は、テレビでクモ膜下についてよく放送されていました。
実際自分の母親が倒れてしまった事で、この病気の恐ろしさと、予防の大切さを身をもって体験しました。
ブログに書くのも迷いましたが、少しでもこの病気について知っていただければと思い、ためらいながらも書いてみました。
すばらしい富士中央病院の先生方と優しい看護師さん達のおかげで、母は無事退院する事ができました。
本当に助かって良かったと、やっと安心できます。
支えてくださった病院の方や、私の分まで頑張ってくれたお店のスタッフ、親戚や友人、近所の方に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こんな大病はなかなか経験できないことです。
母も早速いろんな方に自分の経験を伝えたいと言ってました。
母はもともと元気で明るいはつらつとした人ですから、せっかく助かった命を大切に、これからもさらに前向きに生きて行くと思います。
健康第一!それに尽きますね!